俺は自分で結んでゐたよ
posted at 06:06:10
>しかし、中高生の制服は結ぶ手間を省くために結び目が既に出来ていてゴムなどがついたタイプがほとんどです
posted at 06:06:03
羽生結弦のニュース - 完璧主義・羽生結弦の“思わぬ苦戦”に先輩・小塚崇彦が差し伸べた愛の手 - 最新芸能ニュース一覧 - 楽天WOMAN woman.infoseek.co.jp/news/entertain… @RakutenWomanさんから
posted at 06:05:41
AS氏だかたぬき砧だか知らないが(興味がない)、自分をプロジェクトだとか言つてゐる人が福原麟太郎や福田恆存を讀む事はないだらうし、讀んだとしても理解する事はあるまい。
posted at 05:26:04
云々
posted at 05:24:34
「しかし、人間を社會的動物と見なし、個人を超えるものとしての集團を認めながら、集團を超える個人を認めない社會學者の口から「日本よ、國家たれ」と言はれれば、どうしても全體主義しか考へられない。」
posted at 05:24:27
自己欺瞞だと言はれれば、それまでだが、少くとも、この場合、清水氏の樣に過去を振返り辻褄合せをする手數も要らなければ、破綻も起らない。なぜなら、過去と默契を取交してゐる以上、連續性、一貫性は自づと保たれてゐるからである。」
posted at 05:23:35
が、それを信じさへすれば、自己疎外だの、身元證明などと言つて邊りをうろうろ見廻す必要はあるまい。
posted at 05:22:09
「とはいへ、前者の忠誠心は目に見える仲間、同志の集團に支へられてゐるのに反して、後者の忠誠心は、目の前には見えない、後ろから自分を押して來る生の力の自覺に對する強烈な意識そのものを信ずる以外に法は無い。
posted at 05:21:38
同時に、善き人間として「自分を超えたもの」即ち、良心への忠誠心をも持たなければならず、その兩者の間に對立が生じた時、後者は良心に賭けて前者と對立する自由がある、たとへその自由が許されてゐない制度のもとでも。」
posted at 05:20:33
「再び問ふ、私達はたとへ軍人でなくとも、善き國民として「自分を超えたもの」即ち國家への忠誠心を持たなければならない、
posted at 05:19:54
「社會學にはもともと私の言ふ個人的自己の發想は無い。」
posted at 05:18:32
「國家と個人とについて考へるもう一つの手掛りは、善き人間(個人)は必ずしも善き國民ではなく、またその逆も眞であるといふ事實である。」――福田恆存「近代日本知識人の典型清水幾太郎を論ず」より
posted at 05:17:32
十二の智慧の福原麟太郎、徒黨の記事の次に交友の記事を書いてゐて、きつい印象を緩和しようとしてゐるが、Amazon邊のレビューだとこの交友の記事を喜んで評價してゐる人がゐたりするので、福原氏の印象操作にひつかかる人は割と多いらしい
posted at 04:31:44
不倫をやらかしたら、政治をする資格はない――つて發想、修身齋家治國平天下の發想と何が違ふか
posted at 04:02:15
不倫をやらかして議員をやめる事になつた政治家がゐたりする現代の日本、みんな儒教道徳なんて古臭いとバカにしてゐる割に、當り前のやうに儒教道徳の決り事に從つて、他人を裁いてゐる。
posted at 04:01:32
大学 (講談社学術文庫) | 宇野 哲人 | 本 | Amazon.co.jp www.amazon.co.jp/dp/4061585940
posted at 03:59:33
こげたもちはにがくてうまい #kogetamochihanigakuteumai #こげたもちはにがくてうまい
posted at 03:01:45
AS氏とかの方がバカか利巧かは、物の見方による。「組織的個人」の大勝利を信ずる側からすればAS氏は大變な利巧なのだし、個人の抵抗の必要を認める立場からすればAS氏はバカ以外の何物でもない。
posted at 03:01:28
RT @nagoya313: プロジェクトAS氏、記憶が確かならたぬき氏と同一人物だと思ふんだけど、あの人確かリプライで舊假名よこすと普通に怒つてたやうな記憶がある。怒るし、會社で貫徹しない人も茶化すつて感じか。
posted at 03:00:16
一方、徒黨を組む連中が個人の抵抗に理解がないのは、これまた近代の社會のありやうなのである。
posted at 03:00:01
それでも、と言ふより、それだからこそ、個人は抵抗をやめては行けない。
posted at 02:58:57
近代の社會が全體として徒黨を組む社會となりつつあるのは明かで、しかもその傾向は止めやうがない状況なのだ。
posted at 02:58:39
どうせ彼らがわかるわけないのは、福原麟太郎も諦めてゐるんで、俺もよく承知してゐるけれども、それでも福原氏はそつと抵抗してゐるんだし、俺も抵抗する。
posted at 02:57:48
だから俺はAS氏なんかをファッショだ非民主的だつて罵つてゐるわけ。
posted at 02:57:14
「趣味で旧字旧かなやってる奴は仕事でも旧字旧かなやってるんだろうな?」とか、最う誰が何う見ても、旧字旧かな使用者が英雄になるべき事の主張。
posted at 02:56:55
ところがAS氏は氣附いてゐない。他のアンチ旧字旧かなの多くの連中も氣附いてゐない。
posted at 02:56:08
これ、露骨な英雄主義なんでね。
posted at 02:55:48
ところが例のAS氏とかは、一文學者、一個人が遊びで何か自由な事をやるのなら「許してやる」、しかしそれを組織の段階にまで持つて行つて自由氣まゝにやらかせないなら侮辱してやるぜ、つて言つてゐる。
posted at 02:55:36
今の日本人はみんな喜んでなつてゐるが、そんなわけのわからないもんには絶對ならないぞ、つて福原麟太郎は宣言してゐる。
posted at 02:54:17
一票二票と勘定される「人」の事だ。
posted at 02:53:35
しかし「組織的個人」なんて言ひ方はをかしいんでね。個性を持たない個人なんてのはあり得ないんで、これは「法的には個人である」つてだけの事。
posted at 02:53:01
弱い個人の一文學者と「謙虚」な風を裝つてゐるから、穏やかで圓熟した大家みたいに見られてゐるけれども、福原麟太郎、あちこちで今の日本人の神經を逆撫でする過激な事を言つてゐる。
posted at 02:38:43
「さういふ不可解をも意に介することなく、飜然として、信ずるところを變更しうる人民は、ことによつたら、われわれのやうに、個性などといふものをまだ身につけてゐない幸福な民なのかも知れない」と福原氏。
posted at 02:35:39
大分端折つて拔書きしたので、興味のある人はもとの文章に當られたい。
posted at 02:26:53
「そして、ただ訂正しさへすればすむ個人は幸福である。そのやうな正しくないことを信じてゐた罪なるものが問はれる。これは、精神を持つてゐるものにとつて、堪へ難いことであると思はれるが、ソヴィエト人民には、當然のことなのであらうか。」
posted at 02:25:31
「そのうちに、それは正しくない、誤つてゐたのだといふことになつて、新らしい正しいことが提唱される。すると、組織的個人は、それをまた正しいことであると信ずる努力をしなければならない。」
posted at 02:23:52
「組織的個人の悲劇は、現代のソヴィエトにあるやうに思はれる。何かが正しいと教へられると、それが正しいことを信じなければならない。それを信じることに成功して、やつと組織的個人としての地位を得ることができる。」
posted at 02:23:49
「話はそれで終りである。英雄待望論や英雄崇拜論が出ないのが不思議である。」
posted at 02:22:16
「しだいに擡頭して、ある數を手に入れる。それ以外に、己れの意志を行ふ方法はないのだ。英雄になることが何より必要である。組織的個人は、どこまでも自分を英雄にすることを心がける。そして徒黨をつくる。」
posted at 02:21:43
「理由は簡單だ。己れの意志を行はうとすると、組織的個人にならなければならない。しかし、陣笠では、己れの意志は行はれない。組織の指導者にならなければだめである。そこで、何か利益をかざすことによつて數人の先頭に立つ必要が起る。」
posted at 02:20:45
「文學はともかくとして、もつと恐ろしいのは、このやうな組織的個人の重要さが、結局、英雄主義を生むのではないか、といふことである。」
posted at 02:19:28
「そこで、現代の人間は、組織の中の個人と、獨立した個人とに分れる。」
posted at 02:19:02
「そして、これが當然なのだといふ考へが、次第に行きわたつてゐる。」
posted at 02:17:47
「徒黨を集め、雷同的に一致させて、數で制するといふこの方法が、小學校から大學に至るまで、流行してゐる。個人の意見といふものは全く意味をなさない。個性的獨創といふことは、常に無力である。」
posted at 02:17:30
「そこのところに、民主的方法とされてゐるものの缺點がありはしないか、むしろ非民主的でもありうるのではないか。」
posted at 02:16:23
「さういふ方法が、すなはち徒黨的方法が、今は力を持つてゐる。そしてそれが、政黨の正道であるやうに考へられ、それが民主主義のやり方であると思はれてゐる。それでよろしいか。」
posted at 02:16:02
「けれども、今の世の中では、徒黨でなくても、だいたいはそんな事で物が決せられてゐる。」
posted at 02:15:20