クリストファ・ドーソン nozakitakehide.web.fc2.com/EnglishLiterat…
posted at 22:48:46
そんな簡單なもんぢやない、と俺は思ふのだ。
posted at 22:47:06
左翼諸氏は、人間の考へ方なんて容易に變へられる、と思つてゐる。
posted at 22:46:54
が、連中の考へ方は間違つてゐる、と俺は信ずる。
posted at 22:46:20
この邊は世界觀の違ひだから、連中を納得させられるものでない、と思ふ。
posted at 22:46:11
さうした歴史的に成立した思考の樣式からはみ出た形で、日本人の道徳のありやうを規定する事が、とても難しい――と言ふより、不可能である事は、まあ、私には自明の事と思はれるわけだが、左翼諸氏なんかにはとても自明ではないと云ふ事になるわけだ。
posted at 22:45:41
が、日本の長い歴史によつて日本人が一定の思考の樣式を得てしまつてゐる事實は否定のしやうがなく、或種の「考へ方」が日本人を支配してゐる。
posted at 22:44:46
惡い意味での印象批評と言つても良からう。
posted at 22:43:36
そこでさきほどの左翼ブロガー氏のやうな珍妙で「軽い」批評が堂々と公開されてしまつたりするわけだ。
posted at 22:43:09
ところが、この「言葉は記號である」と云ふ事が、案外歴史家や歴史研究者や趣味人に理解されてゐなかつたりする。
posted at 22:42:36
斯うした曖昧模糊とした考へ方をするのが日本人なのだが、さうした日本人の思考樣式を神道的と名附ける場合、我々は特に軍國主義だの國粹主義だの「天皇主義」だのといつた概念とひつつけて考へる必要がない。言葉は記號なのだ、と云ふ事。
posted at 22:42:03
罪についても、日本では、禊をすると、あつちの神樣こつちの神樣と罪がたらひまはしされ、そのうち何となくなくなつてしまふ、みたいに、曖昧に考へられてゐる。
posted at 22:40:33
天照大御神は、太陽の神樣だが、太陽神が唯一神であり最上位の神樣であるなんて規定は日本の神話には存在せず、それどころか、さらに上に神樣の神樣がいつぱいゐる別の世界が示唆されてゐる。
posted at 22:39:18
「上の方に何かすぐれたものが存在する」と言つても、日本人はキリスト教のGodのやうな存在を歴史上持つた事はない。
posted at 22:38:01
「天を信ずる」みたいな日本人の考へ方、それはとても曖昧で、不確實なものだが、それと「天皇と云ふえらい方がいらつしやる」と云ふ考へ方とは、大した距離はない。
posted at 22:37:28
佐伯氏が「ロレンスから神道へ」と云ふ言ひ方をしたけれども、松原先生は福田恆存の「ロレンスへの關心」それ自體を「神道」的だと表現したわけで、福田さんの思想が「何かから何かへ移行した」と言つてゐるものではない、と云ふ事だ。
posted at 22:35:43
(佐伯氏が「誤解」したのも仕方がないと思ふ
posted at 22:33:08
『日本を思ふ』 nozakitakehide.web.fc2.com/FUKUDA/Nihonwo… 国民講座『討論・現代日本人の思想』より「西欧と日本」 members.jcom.home.ne.jp/w3c/FUKUDA/koz…
posted at 22:32:17
(松原正氏が福田恆存について述べて「神道の信者だつたのだと思ふ」と書いたのに佐伯彰一が言及した事があるが、佐伯氏は「誤解」したと松原氏が言つてゐる。
posted at 22:32:01
(常識的な考へ方としては和辻哲郎の「國體」觀念で構はない
posted at 22:28:28
(「佐々木・和辻論爭」、飽くまでも「現憲法の制定に際して」と云ふ文脈において「國體」の概念をはつきりさせようと云ふものなので、佐々木惣一の説明を和辻哲郎が拜聽すると云ふ形になつてゐる。
posted at 22:28:04
が、斯うして「論爭」になるくらゐ、「國體」と云ふ表現は、曖昧に使はれてきたのだ。(「佐々木・和辻論爭」だが、讀んで見ると論爭と呼ぶべきものでもなく、和辻哲郎も強く自説を主張してゐるものではない。)
posted at 22:26:59
(松原先生が示唆してゐる「國體」の概念、憲法がらみの論爭だつた「佐々木・和辻論爭」であまり分の良くなかつた和辻哲郎の考へる「國體」の概念から、それほど遠くない。
posted at 22:25:41
(國體の觀念については、佐々木惣一・和辻哲郎の有名なやりとりがある。 ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90…
posted at 22:24:03
(松原正氏にしても、何うもこの邊、わざと曖昧に話をしてゐる節がある。
posted at 22:22:29
「國體」と言はれると、日本人ですらも、政治的な理解、或は、政治體制としての形式的理解しかできない。
posted at 22:21:57
が、日本の精神文化もまた、今の日本人にはとてもわかりにくいものになつてしまつてゐる。
posted at 22:21:11
キリスト教社會の精神文化と云ふものが「ある」事は、日本人には非常にわかりにくい。
posted at 22:20:53
日本人には、キリスト教は全くわけのわからない代物であり、日本人の歴史研究者には、キリスト教文化など檢討の對象に入れられるものではない、としか思へない。
posted at 22:20:31
歐米の歴史研究者にも、さう云ふ人が多いのだらう。
posted at 22:19:13
日本人研究者には、キリスト教と言つても、神學の側面しか目に入つて來ない事が多い。キリスト教文化――キリスト教に支配された中世を經てきたヨーロッパ社會の生き方――と云ふものが「ある」と、彼らには感じられない。
posted at 22:18:56
が、さう考へると、ヨーロッパ社會におけるキリスト教の根深さを、見損ねる。
posted at 22:17:04
日本人は、キリスト教的思想家は所詮時代遲れの思想家に過ぎない、とか、一部の思想家に過ぎない、とか、主流ではない、とか、考へる。
posted at 22:16:21
斯うした理解は、ドーソンのみならず、ヨーロッパの多くのキリスト教的思想家に共通する。
posted at 22:15:10
ドーソンの理解によれば、さうした「完成された世界」としての中世ヨーロッパが解體して行く過程が近世のヨーロッパである。
posted at 22:14:29
ところが「信仰と理性の調和・統合」が實現した、と云ふのは、キリスト教的な世界である中世ヨーロッパでは、調和と統合の完成された世界が實現した、と云ふ事になる。
posted at 22:13:45
「信仰と理性の調和・統合」と云ふ事が、カトリック教會の中の瑣末な事象として扱はれてしまつてゐる。
posted at 22:12:42
典型的な日本人の理解である。
posted at 22:11:54
>中世ヨーロッパでは、キリスト教の教義やカトリック教会の教えに反するような自由な思想や学問は許されず、合理的な学問の発達は妨げられた。
posted at 22:11:47
「カトリック教会の支配のせゐでヨーロッパ社会は長い間停滞した」と云ふ考へ方から日本人は拔出せない。「中世ヨーロッパは單なる停滯の時代ではない」と云ふ「理解」が、本當の理解になつてゐないのだ。
posted at 22:11:10
そして、「社会を支配したカトリック教会は悪い」と云ふ簡單な解釋をしてしまふ。
posted at 22:09:45
日本人は中世ヨーロッパと言ふと「カトリック教会が支配した」と云ふ事だけを記憶しがちだ。
posted at 22:09:18
6 西ヨーロッパ中世の文化 www.sqr.or.jp/usr/akito-y/ty…
posted at 22:08:25
が、それを知つてゐる筈の日本人が、依然として進歩主義を信奉してゐたりする。
posted at 22:07:15
中世ヨーロッパが單なる停滯でなかつた事は、歴史研究者の常識となつてゐる。
posted at 22:06:53
「ヨーロッパの形成」について、日本人がドーソンの考へ方を何處まで受容れてゐるか。
posted at 22:06:14
しかしながら、ヨーロッパ人による中世ヨーロッパの歴史的意義を、日本人が何處まで理解したか。
posted at 22:05:24
中世ヨーロッパの歴史的意義を、今の人間は最早輕んずる事はない。ドーソンもさうだが、ホイジンガやその他の多くの研究者が、中世ヨーロッパの意義を再評價したからだ。
posted at 22:04:43
T.S.エリオットは、アメリカ人として生まれたので、イギリスに歸化した。
posted at 22:02:19
ヨーロッパの人々はヨーロッパの歴史の中で如何なる價値觀を發達させたか――クリストファ・ドーソンは歴史家としてそれを明かにした。
posted at 22:00:14